読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

二宮敦人「最後の医者は桜を見上げて君を想う」


f:id:p-524yukinaga:20161225010408j:image

「生きることにどれだけの対価を払えますか?五感、五体、知能指数、貯金、記憶、他人の命…その引き換えだとしたらあなたはどこまで許せますか?」

考えたこともない、だけどいつかくるその日の為に本当は考えなければならないこと。どこまで許せるだろうか。例えば右足がなくなっても生きたいか。生きたいと思う。耳が聞こえなくなっても?口がきけなくなっても?生きたいと思う。では内蔵がえぐられる程の痛みが襲う毎日を乗り越えなければならなかったら?どうだろう。毎月100万医療費がかかるとしたら?命とお金は天秤にかけられないとは言うけど、大金持ちでもない自分にはどうだろうか…。記憶が全てなくなるとしたら?

 

健康て素晴らしいですね。仕事をして、好きなモノを食べて買って、映画見たり、休日は散々真田丸プレイしたり、たまには旅行行ったり。そんな日常にいると忘れてしまう、その1分1秒の尊さ。人間は生まれた瞬間から着実に死にを向かって生きてるんです。本読んだ後の感情に任せて文字打っているこの瞬間も着実に。1秒1秒死に向かって生きている。

自分が死に直面したときはどういう決断を下すんでしょう?必ずしも老衰とは限らない。なんなら老衰でも楽な死に方ではない。

私は以前ラブラドールを飼っていて、彼女を思い出して今でもシクシク泣けるんですけど。いや、もう吹っ切れてるんですけどね。ただただ会いたい、それだけです。


f:id:p-524yukinaga:20161225023411j:image

天使の寝顔!この首もとに顔うずめるのが大好きでした。めっちゃかわいーー♡あ、また話が反れた…ゴホン。

彼女は老衰でした。犬は人間よりも時間の経過が早いんです。段々歩けなくなっていく。食べるスピードが落ちていく。下半身が緩くなる。寝返りをうてなくなる。毎日着実に機能が低下していきました。犬は喋れないので本当のところどう思っていたか分からないです。歩く事が命の子だったのに、段々と散歩にいけなくなることをどう思っていたのだろうか。足の痛みがなくなればと思って毎週ヒアルロン酸の注射を打っていたのだけど、毎週病院に連れて行かれて注射される気分は。オシモが汚れて荒れてしまって、それの処置の為に毎日洗ったり軟膏を塗るのに、ただただ黙って痛みに耐える気分は。

結局は生きてる側の自己満なんだと思うんです。人間でも動物でも。

 

答えの出ない選択ですね。桐子先生のような面談をしてほしいか、それとも福原副院長と共に病気に立ち向かっていきたいか。

だけど、身近な人の死に向き合ったとき、桐子先生も福原先生も、京子さんも。

「生きてるだけで…いいのに。」

川澄さんのこの一言に全て詰まっている。

 

生きる望みを持って病気に立ち向かっていくのは体力的に苦しい。だけど桐子先生のように死に方を考えてそこに向かって行くことは、それよりも苦しく、精神的に厳しいでしょう。

結局健康な今は絶対に答えは出ないんです。今こうしようと思っていても、その時も同じ思いでいれるかなんて保証はない。

それよりも、そうなったときに後悔しないように、今全力で生きたい。そして今一緒に過ごしている人たちをとても大事にしたい。もっともっと大切にしたいなと。

私はこの本を読み終えた時、そう思いました。ま、当たり前のことなんですけどね!それがなかなか難しいんですよーーーー苦。

 

凄く泣いたし、病気の描写が恐ろしくてだいぶ眉間に皺増えました。桐子先生にはもっと言い方!!て思ったり、福原先生…!それは無理だよ…!!と心から思ったり、音山先生に癒されて更に泣かされる。

読みやすいので絶対に読んだ方がいいと思います。大切な人を、もっと大切にしよう。そう思える素敵な本でした。二宮敦人さんすごく好きだ~(*'▽')他の作品も読んでみたいな。