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西国第十六番 音羽山 清水寺 其の一

「あ~…今月財布ピンチだな。。でも彼女誕生日だよ。
エルメスのバッグが欲しいだなんて…くっそ。

カードきるか…清水の舞台から飛び降りるぞっ!くそっ!」


でおなじみの清水寺です。
エルメスのバッグを誕ぷれwwきっつ笑



清水さんはきっとほとんどの人が小学校の時の修学旅行で訪れているんではないでしょうか。
少なくとも私は奈良の東大寺とセットで行きました。

何度いっても素敵な場所ですし、
実は先日桜の時期に行きました。
それはもう人が多くて、舞台の床が抜けそうなくらいパンパンでした。


でもどれだけ人がいようと、きれいなもんはきれいです。



清水寺宝亀9年(778年)、延鎮上人によって開創されました。

延鎮さんはある日、すやすや眠っていると夢を見ます。


『木津川の…北流に…清泉を求めて…いけ…』


延鎮さん「ん…ゆ、夢…?木津川か…うむ、行く価値はありそうだ。」


と、さっそくその夢のお告げ通りに行動し、音羽の滝にたどりつくのです。


私なら起きてスマホで「川、夢占い」とか調べて、
「ほぉ~!川は人生そのものをあらわしていて、ふむふむ…水の濁りとかが体力をあらわしてるだと?あれ、濁ってたかな…どうだったかな…」

て終わりそうですけど。偉人は凡人とは違うのです。



音羽の滝に辿り着いた延鎮さんはそこで小さな家を見つけ、そこで行叡居士さんと出会いました。

そして行叡さんは延鎮さんに霊木を渡し

行叡さん「観音の霊地を守るのじゃぞっ!」

と言い残し姿を消してしまいます。


延鎮さん「ぎょっ!行叡様!?どこへ行かれたのですかっ!?(唖然)
…!!!!はっ!もしかして、行叡様は観音様の生まれ変わりだったのではっ!?」

そう思った延鎮さんは、その地で千手観音と行叡さんの家を守り続けました。



しばらくそこで暮らしていると、坂上田村麻呂公が妻の安産の為鹿狩りにやってきました。
入山の理由を聞くや否や、

延鎮さん「こんのばかものっ!この観音の聖地でむやみやたらに殺生するでないっ!!!!!」

と坂上さんに観音菩薩の教えを諭しはじめました。

坂上さん「なんと…なんと慈悲深いお方でしょう…ひどく感銘をうけましたっ!ついていきます、師匠!」

と自らの御殿を仏殿にしました。
その後、清水さんはひたすらに発展を遂げていく、というのが私の見解です。



ちなみに坂上の田村麻呂公は平安時代の武官で征夷大将軍となったお方です。
征夷大将軍と言われてもあまりピッと来ないかもしれませんけど、
鎌倉時代では源頼朝だとか…徳川15代全員とか、それくらいのレベルのお方です。
いわゆる天上人ですね。



清水寺は「枕草子」や「源氏物語」などの古典文学だけでなく、
落語や歌舞伎などにも広く登場します。
身分の階級を超えて、公家から庶民までみんなに清水さんは愛されてきました。


そんな愛され上手な清水さんですが、順風満帆という訳でもなく、
やはり何度となく災害や戦害により焼失しています。
が、そのたびに復興をしてきました。

現在の姿は徳川3代将軍家光により、寛永10年(1633年)に再建されたものになります。
家光さま…(*'ω'*)←家光好き



さて、最初の会話の人物は清水の舞台から飛び降りてエルメスのバッグを購入したのでしょうか?

清水の舞台から飛び降りなんて、今舞台から下をのぞくと即死決定事項のような気もしますが、
当時は木々が生い茂り、まぁ道は土だったので死亡率は15%程だったそうです。

江戸時代には234人が飛び降り、死亡したのは34人でした。

平成時代ですと234人飛び降り、234人死亡で間違いないでしょう。


この飛び降りには願が掛けられており、
「観音様に命を預けて飛び降りれば、命は助かり、さらに願いも叶う」という民間信仰により飛び降りが流行ったとされています。

ただ、飛び降りる人が後を絶たず、
明治5年(1872年)に京都府により禁止令が出され、徐々に飛び降りは少なくなっていきました。

自分の命を懸けてもいい程の願いが私にはないのですが…。
当時はやはり家族の病気、自身の病気等自分の努力ではどうしようもないものに対して
観音様にすがる思いで飛び降りを実行していたようですね。
そしてそれも庶民が多かったそうです。というか庶民ばっかりだったそうです。



うんちくはこの辺りにして、
早く清水寺に行きたいです。

4月に行ってますけど、また行きたい。
あ、、紅葉の時期もいいなぁ~!!